私がクリスチャンになったのは

1.命の大切さ

  阪神大震災オウム事件に続き、神戸で少年によるショッキングな事件が発生しました。また私の周囲では親類や知人の死が相次ぎました。私は命の大切さを知りたくて、家からすぐ近くの教会に行ってみました。1997年7月のことでした。

  この教会では、進化論の間違いについて教えられました。多くの人は、深く考えることなく進化論を受け入れているのではないでしょうか。私もそうでした。
  でも、何億年もかけても有機物はできる筈はなく、また何らかの原因でできた有機物が種を超え、様々な動植物や人間になるでしょうか。ソクラテスプラトンは現代人よりもサルに近かったのでしょうか。現代科学でも、無から有を創ることは不可能。進化論は誰に都合が良いのかと勘ぐるのは考え過ぎでしょうか。

  では、聖書のとおり、神様が目的をもって人間を創造されたとすれば……
  私はそこに命の積極的な価値が見出されるのでは、という気がしてきました。


2.転勤、そして郷ヶ丘バプテスト教会

  1997年9月、転勤のため家族ともども福島県いわき市に移ることとなり、紹介された郷ヶ丘バプテスト教会に通うことになりました。
  私は、ここで米国人宣教師による日曜礼拝や聖書の学びを通し、いろんなことを学びました。数千年も前から記述され始め、写本で広められた聖書が驚くべきほど忠実に現代に伝えられていること、その内容も矛盾せず、一貫して人に希望の光を与える神の言葉であるということ。そして何よりも、神のひとり子イエス・キリストが人間として誕生され、罪がないのに、汚れた人類の、いや他ならぬ私の身代わりとして十字架上で死なれ、そして3日目に甦られたということも。
  「目からうろこのような物が落ち」た気がした私は、イエス・キリストを救い主と信じ、1999年7月11日にバプテスマを受けました。

  さて、私たちを創造された神様は、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と言われています。私たちのなかには「義人はいない。ひとりもいない」のに。神様から愛されない生命、不必要な生命などどこにもありません。誰でも価値のある、尊い存在なのです。


3.そして再び堺へ

  私達家族はいわきに慣れましたが、事情があって、妻と息子2人が堺に戻りました。2000年10月でした。私は仕事のため、そのまま、いわきに残りました。
  つい昨日まで、家族4人で賑やかだったのに、一人になると実に寂しいものです。ベテランの上司が退職したこともあり、「あと2〜3年は、転勤はない」と社長から断言され、気持ちが落ち込んだものです。でも、神様は、早く大阪へ戻りたい、との私の祈りを聞いてくださいました。単身生活は1年で終わり、2001年10月から、郷ヶ丘バプテスト教会とつながりの深い泉北ニュータウン近くの教会で、古くからの知り合いのように仲良くしていただいています。


4.レーナ・マリアさんとの出会い

  さて、いわきでの単身時代に彼女のCDをよく聴き、励まされたものでした。
  2002年10月に堺で彼女のコンサートがあり、妻と出かけました。澄み切った声、ユーモアのある語り、小さい彼女から大きな元気をいただきました。特にアンコールの「いちわのすずめに」は、実に感動的で涙が出ました。

  新約聖書「ルカの福音書」の聖句、「雀の一羽でも、神の御前には忘れられていません」「あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です」を引用した曲です。家では「雀の歌」として大ブレイクしました。


5.教会って敷居の高いところ?

  そんなことは絶対にない、というのは中にいる側からの意見でしょう。
  どこの教会でも、クリスマスやイースター等の特別集会があります。こういう機会に来ていただける、親しみやすい教会であってほしいと思っています。