大震災から13日目

3月11日午後、三陸沖が震源地なのに、大阪でもわずかに、しかし長い間揺れた。最初は目眩でもしているのかと思っていたら、いわき市の工場の総務課長から、「先ほど、体感で震度5地震がありました。全員今から避難します。」と電話。
福島県では、これまでも時々震度5や4クラスの地震があったので、たいしたことはないだろうと高をくくっていた。
ところが、そうではなかった。テレビやネットから次々と緊迫した状況が伝わる。
いわき市内に3つの工場がある。従業員は大丈夫か? 津波にのまれなかっただろうか? 4年間過ごした社宅は? 教会は? 親しくさせていただいた人たちは? 不安が次々と頭を過ぎる。
本社では、すぐに「災害対策総本部」を設置した。社内電話も携帯もそのうちつながらなくなった。社内メールも。ごくたまに、携帯のメールで連絡を取り合った者からの情報が入ってくる。
幸い津波の被害はなかった。避難した従業員も全員無事だった。しかし、電気も水も止まった。建物、設備に損傷がある…。
当日出社していなかった従業員も含め全員の無事が確認されたのは数日たってからのこと。だが、その家族は、となると未だはっきりしない。放射能漏れのため市外に退避して、連絡が取れなくなっているからだ。さらに、津波で家をやられ、避難所生活を余儀なくされている者もいる。
牧師や教会員となると、全員無事とわかったのは、地震から10日後のこと。
一方、勤務先の本社移転が3月18日〜20日に予定されており、これと災害対策が同時進行することとなった。引越しの作業は部下に任せるとしても、法的な手続きはもともと私が担当していることから、ダブルで超多忙となった。
地震発生後、土日も出勤、救援物資の調達、プレスリリース作成(英文も)、社外からの問い合わせ等々多忙を極めた。21日の春分の日は漸く休めたが、22日は出勤したものの、疲労困憊から脱しきれず、本日はもともと午後のみ有休の予定だったが、全休をとった。
しかし、未曾有の被害が生じた今回の震災で、被災地の方々はもっと厳しい状況におられることを考えると、できることをひとつずつでも実現していきたいと思う。